風ノ景色 祈リノ彼方

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無意味さを考える

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『老師と少年』

 

愛読書のひとつです。

この本の中で、隠者が若者(老師)へ生きていることの無意味さを説く場面があります。

 

「欲望を捨てよ。意思を捨てよ。思考を捨てよ。行動を捨てよ。

我と世界を捨てよ。川が海に流れ込むように、いつか最後の時が我々を虚無に流し込むまで、目覚めながら眠り、生きながら死ぬのだ」

 

と。

要は、人生はどうせ無意味。生きる意味なんてない。

だから、ただ諦め、適当に流されていけばいいといった感じの文です。

 

私なんかも、人生は無意味だよな。とか思う一人です。

過去、職場のパートの人でそういった感じの人で、ただ毎日を淡々と過ごすだけの人もみてきました。

 

でも、この本をもとによく考えてみると、

例えば、花が咲くことや、あの川の色が変わることなんて、どうしてそうなるのかなんて、確かに根本的な意味なんてない。

 

ただ、そうなんだってしか言えないんだけど、

だけど、この風の心地よさって何なんだろ。どんなに無意味でも、あの涙した景色がある。それって…

 

私が言いたいことは、根本的に生きている理由なんてなくても(わからなくても)、楽しいことや喜びを感じることができる。

 

無意味だからって言ってたら、個人の生に蓋をしているんじゃないかなって思ったわけです。

 

鐘が鳴る。音が出る。

 その音も、そう諦めて生きていたら、聞こえないんじゃないかな。

 

「世の中、お金が全てだよ。」と言って、生きているのと同じじゃないんですか?