風ノ景色 祈リノ彼方

-square any time-

「内省」と「負けず嫌い」という言葉。

「内省」という言葉。

なんだか私の世代だと、イコール「根暗、悩みやすい、過去になんかあった人」と言ったニュアンスで取られてしまいますが、この言葉は、深くて好きなんですが、私の世代だと死語です。死語。使いたいと思うのは私くらい。


内省的だと思われる私からすると、一応
ニュアンスはそれなりに正しい。


ここで、
一時期流行った「負けず嫌い」という言葉。(正確に流行ったかはわからないですが、ある時期、本でよく出てきたフレーズだと思っています。今もそうなのかもしれません。)

なんでこの言葉、本で評価されていたかというと、ようは成果主義に適っているからなんです。
人の性格の良し悪しまで、成果と指標で判断するのもどうかと思いますが、多分成果で考えたらこっちの方が相応しいとやはり思いますね。統計的に。
嫌ですが、認めるところです。それでその人が幸せかは別ですが。

私は、内省的でもの事深く考える人でも、立ち向かっていく、そんな内省力ってないのかなと昔から思っているんですね。

物事深く考える人は、これは才能だと思います。考えすぎだ!という言葉に屈してはいけません。


ここで、今までに勝手に内省力のあると思う凄い人。

宮沢賢治

為末大

手塚治虫




太宰治は、内省的というよりも、なんというか。ネガティブというか。

夏目漱石は、内省力という観点ではまだ浅いような。


内省力のある人で共通な事は、死についてよく考えている、という事です。そして一見ネガティブに見えて、実はそうではない。この切り分けは難しいです。

そう考えると、死について深めて行く事が内省力を鍛える事、なんでしょうか。。


この内省力。考えてしまうところです。




と言っても、内省的な人って競争に興味ないですからね。


こんなこと言ってる私は、負けず嫌いか(笑)

と思い、薄暗い喫茶店で、本と内省にふけります。。。