風ノ景色 祈リノ彼方

-square any time-

人生を引き受ける

以前にも書いたが、生活保護の知り合いがいる。

毎日の精神の安定と引き換えに、

社会を捨てているから、前に進む事はない。

これから先の人生経験もないし、そういう気概もない。日々は平静だ。



一度でも大きな痛み疲れたものには、日々のつつがない生活がどれだけ幸せなのかはよくわかる。

彼のそういう姿をみて、彼の生き方は善悪どちらなのだろうかを、

ずっと悩んできた。(生活保護という個別の問題は別にして)。

彼の生き方は、何回も何回も問い重ねたが、私の中で善悪は出ない。

彼は今の現状に甘えて進まないが、こっちは、疲れて時間がないから進まない。

でも今日思った。それは意味がない。



善悪を問うのではなく、それでも来たる人生を、

社会を引き受けられる事が出来るかどうか。そうしようと思えるかだけだなと。

今の私にとってそこが発想の転換だと思う。

引き受ける以上は少なからず我慢を伴うものであるとは思う。


彼のように、すべてに意味がないと言えれば、

それはある部分で救いであることも間違いないとは思う。

それでも生きていく上では、何かをひきうけなければならないのも確かだ。





10年いろんな自己啓発を読んできて、

恐らくは理性以外のものすべては、コントロールできないのは間違いない。

理性以外、それは感情や体調の波、そして人生で起こることすべてだ。

そして、理性といっても、すべての選択肢が出るわけではなく、

限られた選択肢の中での日々の決断しなければならないという現実。

そしてその選択肢が、すべて出尽くすこともない。


その中で、どう真剣に生きていけるか、楽しく生きていけるか。

また自信をもって生きていけるか。状況に振り回されないで生きていけるか。

これらを考えることとが、引き受けるという行為への大切な一歩だと思う。








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