風ノ景色 祈リノ彼方

-square any time-

譲るという行為

譲るというのは、

中々できなかった行為であったが、

街中やいろいろなところで譲ってみると、

いろいろと思います。

まず、礼をしない人。

そして鼻が高そうな人で
まるで譲られて当然だと言わんばかりな人。

偏見かもしれないが礼をしない人は、

若い女性が多い。


そしてどちらのタイプにも共通する事は、自分の事しか観えてない、という感想だ。周りが本当に見えてるなら礼ぐらいするでしょう。

彼らは、今誰が譲ってるかわかってるのだろうか。


とマジで思ってしまう。

もし誰かに急に襲われたらどうするんだろうか、なんて事を思ってしまう。

何か考えてて、周りが見えてないが、
私からは何かに執着しているかのようにみえる。

考える事はよしなのか?

この風も感じているのだろうか。



結局は、譲るっていうのはそういう意味で周りが観えている人が出来る行為なのかもしれない。

譲れる人って存在感あると思うんだけど、結局はそういう理由なのかもしれない。

自分に執着していない。


昔は、他人に譲ってる行為が自分を卑下しているようで嫌だったが、こう考えるとなんだかいいなと思う。


価値観に左右されないという事は、今自分がここにいること。




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