風ノ景色 祈リノ彼方

-square any time-

脱モチベーション論

自分にとってエネルギーって何かって考えたとき、

それって「嫌なことや目標に向かって効率的に成果を上げる事」なんだけど、もしかたら、ずっとエネルギー=熱血、と思い込んでいるんではないかって。
ずっと疑問だった。エネルギーと聞くとなんかガツガツしたイメージがあるけど、
実際は冷めていはいないが、どっかで切ないようなものがあるような感じの方が物事に取り組んでいけるのではないかなって最近思っている。

たとえが悪いかもだけど、
夏に海水浴場で遊んだ後、夕暮れに浜辺を歩いている感じ。
疲れた体に心地よい海風。

いつもそんな状態が理想なんじゃないかなって思ってる。
案外こっちのほうが物事が観えてるのではって思ってる。

ただ短期で高い成果を生み出したいなら、情熱には敵わない。
またそっちの方が日々充実しているといえると思う。

でもやっぱり情熱って作り出すのはほとんど不可能で、外的な要因によると思う。
また維持するのも困難だと思う。かなりあれこれ試したけど俺には無理だった。

あくまで長期的に取り組むスタイル。
もし情熱が作り出せるのであればそうしたいんだけど。


少し話が変わるかもしれないが、モチベーションって言葉も、実は考えものだと思っていて。モチベーションって言葉は、やっぱり取り組む対象や人間関係、その日の気分など自分の外のことと密接かかわっている言葉だと思うからだ。
外の状況が変わるとそれに左右されてしまう。でも外の状況が一定なんてありえない。

ちなみに、モチベーションがあるように見えてもそれって実際はよく考えると、物事への愛着だったり、生活上の惰性だったり、その日の感情だったりする部分が僕は多い。

また、俺はモチベーションが軸になってしまうとそれがなくなったときに、心の中でモチベーションがあるときの自分とのジレンマが出来て、我慢してしまう。無理にモチベーションを作り出そうとしてしまう。

だから、ある時期からモチベーションや情熱を維持するのは無理だという前提で人生を作っていて。モチベーションという観念をすてて、どんな状況でも楽しくリラックスできないかというコンセプトで人生を組んでいる。

具体的には日々の体の管理を人の倍やる、自己啓発書を読むなどだ。

それでも感情が落ちていることもあるし、コントロールできない日もあるが、外界の状況に心が振り回されることが少なくなって、楽になれたとは思う。

これから先もこのコンセプトで人生を作っていく予定だが。。。

皆はどう考えるのだろう。